嵐とみる『レディプレイヤーワン』

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居酒屋嵐VR

櫻丼「今回は実際観るまでは結構不安を抱えてたのよ。原作の『ゲームウォーズ』が2011年に発表されてからもう随分経っているわけで、VR世界って主題自体、陳腐化してしまってないのか?と。でも蓋を開けたらまじでチョベリグだったよね〜」

ぢゅん「それな〜。超BADだったわ〜」

相場「ほんとサグだったわ〜」

ミノ「相場さんはそれ意味わかって言ってるのか?俺もね、「レディプレイヤーワンは未来のVR像を革新的に描いていたか?」っていう質問なら、Noだと思うのよ。でも、「映画として面白かったか?」という質問なら、まじまんじだと答えるね」

櫻丼「YesかNoかわかんねえよ」

ミノ「もちろんYesだよ!つか考えてもみなよ、相手は人を愉しませることのプロだよ?どだい素人が歯向かって敵う相手じゃないんだよ」

櫻丼「いや別に最初から歯向かう気はないけども」

ぢゅん「SFって視点から見ると、Oculus RiftみたいなVR装置が既にある今、30年後にしては技術進化してないなってのは確かにあったかもね。あとOASIS内は妙に整備されてる風っていうか、ネットの有象無象が消臭された世界観だなって」

ミノ「おっさんが美少女のアバターで集会している日本の現状からすると、未来のVR世界にはもっと魑魅魍魎があふれていそうなもんだけど…」

相場「いいよ、そこリアリテイ出さなくて。特にそういうの見たくないもん。OASISにはきれいなオタクしか入っちゃダメなんだよ」

櫻丼「排他的だなあ」

ミノ「しかしあり得るかもね。オンライン上のヘイト発言とかが未来のある時点で、看過できない状態ってか、言論の自由がうんぬんとか言ってられないレベルにまで進んで、もはやユーザーの良心を信用することはできないから、予め特定の思想を持ったユーザーや発言は排除しよう、っていう方向に規制がきびしくなっていくってのは、全然あり得る」

ぢゅん「それであの世界には善性のオタクしかいなかったってことか?」

ミノ「いや、それはね俺、単純にIOIという分かりやすい悪役が君臨していたおかげだと思うんだよね。責めるべき巨悪がいる時には人って団結するもんじゃん。宇宙人が攻めてきた時とか。だからゲーマーゲート的な事件とか、オタク同士の内紛はむしろ映画のラスト以降に起こるだろうね。レディプレイヤー2でさ」

櫻丼「なんという厭そうな続編」

ぢゅん「原作は続編の予定があるらしいけど、映画としてはこれはもう壮大なジョブズとウォズのパラレル二次創作のラブストーリーとしては綺麗に完結しちゃってるからね」

ミノ「ジョブズにしては性格がかわいすぎないか」

ぢゅん「なんか二次創作って対象を可憐に描きがちだろ」

相場「ウォズはバラのつぼみっていうよりヒヤシンスの球根ぽくない」

櫻丼「バラのつぼみっていうのは”謎”の象徴として『市民ケーン』からの引用なんだよ。あれも大富豪が死に際に遺した「バラのつぼみ」という言葉の謎を記者が探っていく、っていう話だから、何気にストーリー自体を被せてきているんだよな」

ミノ「それでいうと、ラストに出てくるATARIの『アドヴェンチャー』というゲームも、フィールド内に散らばった3つの城の鍵を探して…という攻略方法になっているから、これも映画内のプロットと重なっているよね。あと、その頃からATARIのゲームは大衆向けに作られてはいたけど、それでも現代のマス向けゲームに比べると、開発者の私的な思想が色濃く出ていたというか、今でいうインディーゲームに近い作家性の強さがあると思う。だからゲームをプレイすることはただ楽しむってだけじゃなくて、それは開発者とプレイヤーの対話でもあるというか。作り手の思想を汲み、パターンを推測していくって作業だったんだ。そういう意味で、ウェイドがどんどんとハリデーの深層心理に迫っていくっていう映画の流れと、この原始的なゲームプレイの精神っていうのは呼応してるんじゃないかな」

ぢゅん「そういえば前にネトフリでATARIのドキュメンタリーを見たな。スピルバーグから『E.T.』の版権を買ったATARIだったけど、それで作ったE.T.のゲームが史上稀に見るクソゲー…というか、厳密にいうと開発者の思想が深遠すぎてプレイヤーが誰もついていけなかった、…ってことにより、会社の経営は傾むき、遂には余りまくった在庫をニューメキシコの砂漠地下に埋めるっていう…つまりATARIとスピルバーグには超凶々しい因縁があったんだな…」

櫻丼「因縁といえば、「バラのつぼみ」っていう言葉の元ネタは、ケーンのモデルである実在の新聞王ハーストが、恋人の陰部につけてたあだ名からとった、って逸話がある。当然製作者のオーソンウェルズはハーストからめちゃめちゃ怒られたらしいが。でもそれでよかったんだ。つまりこの映画自体がオーソンウェルズの仕掛けた壮大なジョークだったと。
結局映画の中では記者はバラのつぼみの真相にはたどり着けないんだけど、ケーンの一生を調べていくうちに、人の人生は多面的で複雑で、たとえ「バラのつぼみ」の謎を解いたからって、それで彼という人が暴けるわけじゃない、って悟るんだ」

ぢゅん「”他人”っていう最大のパズルの、見えている一部分は、思わせぶりで謎めいて見えるけれども、実はそれはとるに足らない1ピースにすぎないかもしれないし、悪いジョークにすぎないかもしれない」

ミノ「ハリデーは、自分というパズルを解き明かしてくれる人を待っていたわけだけどね」

相場「きっと、それが自分でも解けなかったんだよ」

ミノ「あ、思わせぶりな謎といえば、途中で『シャイニング』のシーンが出てくるだろ。エイチが237号室でお化けと遭遇するけど、あの237って数字はシャイニングオタクにはいわくつきの数字なんだ」

ぢゅん「知ってるよ、ネトフリのドキュメンタリーに『ROOM 237』ってやつがあるよね」

ミノ「ぢゅんくん意外とネトフリ通だな…。そう、『ROOM 237』っていうのはシャイニングオタ…研究家たちが、映画に隠された謎についての持論を展開する番組なんだが、その中で、237号室の真相に迫るところがあるんだ」

相場「わくわく」

ミノ「それがなにかというと実は、237という数字は、キューブリックがアメリカの月面着陸のフェイク映像を撮ったという噂の証拠となるものだったのだ!なぜかというと、地球から月までの距離は237000マイルであるからで、キューブリックは部屋番号によってこれを暴露したのだ!!」

相場「ほぅ…」

櫻丼「ほぅ…」

ミノ「まあそういうリアクションになるだろ。俺もなった。つまりな、高度に発達した深読みは妄想と区別がつかない」

相場「そう考えるとさ、OASISのオタクの中には、ハリデーのヒントをめちゃくちゃ深読みしすぎた結果、道路脇にレンガをひたすら積み始めるやつとか、土曜日にしか魚料理を食べないことにするやつとか、9歳以下の男児を全員殺していくやつとかがいたかもしれないよね。主人公がまともなやつでよかったよな…」

櫻丼「しかし、『シャイニング』のホテルが3Dに拡張されたのは単純に面白かったよね。しかも、ただの映画のパロディや引用っていうんじゃなくて、なんだかあれはちゃんと、みんなの記憶の中にあるシャイニングのイメージの総体、って感じがしたのが結構恐ろしかった」

ぢゅん「3D映画って見慣れてきたと思ったけど、今回はちょっと新感覚な感じがしたよね。俺は最初のレースシーンが好きだよ。あんなに画面の情報量が多くてスピードも速いのに、視線の誘導が丁寧で目が迷子にならないのがすごかった」

ミノ「まあ、視線の誘導がうまいってのは、VRの観念からは真逆にあるけどな…。あそこのシーンは俺も好きで、結構今まで色んな映画が”ハッカーがバックドアからシステムの裏側に入る”みたいなシーンを視覚化しようとしてきたけど、ここまで体感的な映像化はなかったと思う。でも俺気になったのは、ウェイドが逆走に気づくまでの長い期間、誰もあそこで後ろに行ってみようかなとか、コリジョンの穴を見つけてみようかなとか、ショートカットを探してみようとかした人がいないのかって。あの世界ではみんな従順なプレイヤーで、そこにハッカーやメイカーはほとんどいない、って感じに見えた。今、盛り上がっているメイカームーブメントのともしびが未来で消えてしまっているのは、慢性的な貧困によるものって言われたら、悲しいけどちょっと現実味はあるな」

櫻丼「貧乏だけどガチャで何万も溶かしちゃう若者とか今いっぱいいて、だからみんなOASIS廃になってる未来とか結構あり得すぎてこわいのよ。ハリデーのイースターエッグ探しも意図せず貧困者の射幸心を煽っちゃってるじゃん。滞納金があそこまで溜まっちゃうシステムも悪どいけど、まあその前にあの社会の貧困をどうにかしないとだよね」

ぢゅん「うん、IOIの支配がなくなって、ウェイドたちが運営になって少しはあくどくなくなったかもしれないよ。でもOASISを住みやすくすることより、現実に対峙しない限りは、ヴァーチャルに極度に依存する人々はなくならないよね。それは水木だけ休めばいいとか、そういうことではないきがする」

櫻丼「あれってすごくプレミアムフライデーっぽい考え方だよな。金曜早く帰るようにすればみんな遊んで経済潤うっしょ、みたいな。抜本的解決には目を向けないという」

相場「それはね、ウェイドたちの根がリア充だからだよ」

ミノ「わかる。マークザッカーバーグも根がリア充だからFacebookがああいうことになる」

櫻丼「今いろいろと物事の因果がものすごい単純化された気がしたけど大丈夫か?」

ミノ「ハリデーが「現実は辛くて君を傷つけても、そこでしか美味しいご飯は食べられないんだよ」と言ったのには多分もっといろいろ含みがあったんだと思うけど、主人公たちは「たまには現実も楽しめよ!彼女作れよ!歯ぁ磨けよ!」ぐらいのテンションで受け取ってるよね」

ぢゅん「ていうか、この映画の発してるメッセージ自体がそれぐらいのテンションじゃない」

ミノ「アラン・シルベストリの軽快な音楽に乗ると、全てがノスタルジックな陽の気配に輝いてしまうからな。最後、悪役のベンメンデルス…メンデルゾーンが側近の女にグーパンされるのに「タリラン♪」みたいな音楽がついたところで全ての80年代を過ごしたキッズが祝福された気がしたよ」

相場「あの悪役憎めなくていいキャラだったよね。パスワード書いてるのがおじちゃんぽくてよかった」

櫻丼「未来でもセキュリティの最大の穴は人的要因からくるんだよなあ…」

ぢゅん「彼の視覚をハッキングするシーンが面白かったな。VRっていうものはつまり”位置を錯覚させる”装置なわけで、その裏をついた」

ミノ「そうだね。たださ、この映画に描かれているVR世界の可能性っていうのはやっぱ「すげぇゲーム」の枠内を出てないんじゃないかって。
未来のVR世界の中ではもちろんゲームだけじゃなくて、SNS的なコミュニケーションの場だったり、ヘルスケアや教育的な場まで色々あると思うんだけど、現段階でも、SNSって結構俺たちの人生を拡張してると思うのよ。
見方によると、SNSって、「今日行かなかった場所やイベント」とか、「自分の友達と話さなかった会話」とかを、ほかの人が代行してくれる場といえるかもしれない。
つまり実現しなかった自分の未来が代行される装置で、そういう意味では人生をリアルタイムでパラレル化しているんだよ。俺たちはSNSによってもたらされたマルチタスク的な人生に慣れ始めているところであって、で、そうやって拡張された感覚っていうのはもうそこから後戻りすることはできないんだから、それはやっぱり水木だけオフラインになれば何かが取り戻せる、ってことじゃないと思うんだ」

相場「でも、たまには後ろに向かって全速力で走ってみようぜ、って事なんじゃないの?」

ぢゅん「なあ、俺はいまあることに気づいたんだが、」

相場「なに?」

ぢゅん「リーダーがいる」

ミノ「うわ!まじかよ!なんでいるんだよリーダー!」

櫻丼「いやいいじゃないの。逆にいちゃいけないのかよ」

ぢゅん「だって前回までNetflix廃になって家から一歩も出られないって話だったよ!今回もいないと思うじゃん!」

相場「おーいリーダー、そのヘッドセットなに?とりあえずそれ外してよ」

リーダー「よおみんな、一体なんの話してたんだ?」

櫻丼「俺たちはレディプレイヤーワンの感想を…って、リーダーはそれ、ヘッドセット付けて何見てたの?」

リーダー「うん、これはね、ある日閃いたんだけども、自宅のソファの位置からテレビでNetflixを見ている目線の映像を録画してきたんだ。それをここで再生すれば、俺は居酒屋でみんなとだし巻き卵を食べながらにして、自宅でウェストワールドの続きを見られるってわけなんだな」

相場「すげえ!リーダー天才じゃん!」

リーダー「これこそVRの未来だよ」

櫻丼「しかしそれ、果たして俺たちと一緒にいる意味はあるのかな…」

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