旧作オタクミノはキレているのか、キレていないのか。そしてリーダーが目にした奇跡とは…
相場「プワオォンんん…びょプワおぉ…フォアアァ…」
櫻丼「何してんの…」
相場「ブレードランナーのメインテーマのシンセ音をminimoogで再現しようとする人のモノマネをしています」
ミノ「ヴァンゲリスがオリジナルで使っていたYAMAHAのCS-80はヴィンテージで入手困難だからね。じゃっかん粘り気が少ないのがポイントだ」
相場「俺がこのネタで『細かすぎて伝わらないモノマネ』で優勝してもみんな焼肉たからないでよね!」
櫻丼「優勝しないから安心してくれよ」
ぢゅん「じゃあ俺は「わたしに!ブレードランナーの続編をやらせてください!」ってリドリースコットに三つ指つきにきたヴィルヌーヴ監督のモノマネやるわ」
ミノ「じゃあ俺はそんなヴィルヌーヴをワイングラスを片手で回しながら出迎えるリドスコやります「なんの話をしに来たのかね、若者よ…」」
ぢゅん「わたしは!小さい時からブレードランナーの大ファンであります!続編を!やらせてください!」
ミノ「いいよ!!ただしマイケルファスベンダーだけは使わせん!!」
ぢゅん「御意!!」
櫻丼「いやしてないでしょそんな会話。作っちゃだめでしょ」
ミノ「そうかなあ〜真実味あると思うけどなあ〜」
相場「自由にやっていいよ!っていうのは言われてそう感はあるよね。だって続編っていうよりは完全に『ヴィルヌーヴのブレードランナー』って感じだったもん」
ミノ「オリジナルとは別物感があったよね。でもそれで良かったと思うよ。だって『フォースの覚醒』みたいな、オリジナルにある「オリジナルみ」要素を全部パラメータ化してアップデートして再合成するみたいな所業はJJが生身の人間ではなくAIだからできることだし、ヴィルヌーヴ版ブレランにそれを望んでいた人は少ないでしょ」
ぢゅん「JJはAIだったのか…」
ミノ「そうだよ。2人いるし」
ぢゅん「まあそんな気はしていたけどね…」
櫻丼「でもヴィルヌーヴが「俺のブレラン」を大々的にぶちあげたことでオリジナルのファンは怒ってないの?」
ミノ「少なくとも俺は心の広いファンだから怒ってないよ」
相場「うそー絶対怒ってるよ、俺にはわかるね」
ミノ「怒ってないって」
相場「じゃあ繰り返してよ。セルズ」
ミノ「セルズ」
相場「インターリンクトぅ」
ミノ「インターリンクトぅ」
相場「はい今動悸が上がったので嘘ついてますインターリンクとぅ」
櫻丼「相場くんそれ言いたいだけだよね」
ぢゅん「しかしこの繰り返してる呪文みたいな言葉って何か意味あるの?」
櫻丼「ナボコフの『青白い炎』の中の一節から引用されてるんだよ」
ぢゅん「ああ、そういえばJoiがディナーの時にKに「これ読んでよ」って頼んでた本だよね。「でも君はその本好きじゃないだろ」って返されるやつ」
櫻丼「そう、劇中で何度もフィーチャーされてるよね。そういえば『スーパーマンvsバットマン』でもヴィランが『ロリータ』を引用するところがあったし、ナボコフ流行りなのかな?ところで、作者のナボコフって英語とフランス語とロシア語で本を書いているすごい人なんだよね」
ミノ「たしか『ロリータ』は英語とロシア語両方で書いてるよね」
櫻丼「うん、英語で書いたものを自身でロシア語に訳してる。つまり英語で書いた物語を”ロシア語で書き直している”、もっと言うと、”ロシア語で解釈し直している”。加えて、彼は古典に注釈をつけるっていう仕事もしてるんだけど、実は『青白い炎』は、ナボコフがプーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』に注釈をつける作業をする中で着想を得たと見られているんだな」
相場「そいで、『青白い炎』はどんな話なの?」
櫻丼「話というか、”物語に注釈をつける”ということをそのまま物語にしたような本なんだよね。構成としては、999行からなる詩と、発行人によるそれについての注釈、となっているんだけど、その注釈が段々と本編を逸脱して暴れ出して、やがてそれ自体がひとつの創作物になっていく…というような、変わった本なんだ」
ミノ「はっ、俺はすごいことに気付いてしまった!つまり『ブレードランナー2049』が『青白い炎』を引用しているのは、この映画自体がオリジナルの”読み直し”、つまりブレードランナーとは詩であり、続編であるこの映画はそれに対する注釈である、ということのメタファーなのでは…?!」
櫻丼「…と、いう見方については海外レヴューなどでも既に言われてることでして…」
ミノ「ちぇっなんだ、最初に気付いたかと思ったのに…」
櫻丼「で、それっていまブレードランナーっていうクラシックを再生するアティテュードとしては正しいよねって思うわけさ。ただ同じものを作るんじゃなくて、再解釈するっていうね」
ぢゅん「でも『青白い炎』をちらつかせることでやってるのは単にその態度を示してるってだけで、本当に再解釈できてるのかって問題とは別だよね?俺、うまいオマージュとかそういうことって、基本的に作品の価値にはなんの寄与もしないと思ってるんだけど」
櫻丼「まあでも、態度だけでも褒めたいっていうか。だって名作を神棚に上げて、「あの頃はよかった」ってありがたがってしまっておくのは、芸術としては死でしょ、言ってみれば。評価を硬直させてしまったらそこで終わりで、蘇らせるためにはやっぱり何度でも読み直していくことが必要じゃん」
ミノ「『青白い炎』が解釈が逸脱していくことの小説、ってことなら、それって「誤読は創作を生み出す」って話でもあるよね。そう考えると、『ブレードランナー2049』は、「誤読する」ことについての映画だとも思えない?ていうか、Kがまさに自分の運命を誤読していくって話なわけで…。俺はニヒリストなんで、基本的にこの宇宙の「全てのことには意味がない」と思ってるんだけど、」
相場「えっこわ」
ミノ「究極的には、よ。でも俺だって日々そう思って過ごしてるわけじゃないってか、さすがに日常サイズではエクストリームな考えだし、「今朝は電車で座れたから”運”がいいぞ」なんてやって生きてるわけよ俺も。だけど、もうそれこそが誤読じゃん、人生に対する。われわれは日々誤読してんのよ」
ぢゅん「Kがチョーゼンワンじゃなかったっていうのはこの作品のキモだけど…」
櫻丼「あ、chosen oneな…。急にオビワン風に言うなよ…」
ぢゅん「”奇跡”が見られないほう、に視点を置く、っていうのは実はオリジナル版のキモでもあるんだよな。ルドガー・ハウアーの最後のモノローグにあるスペクタクルを、俺たちは見ることができない、視点がデッカードの側にいるから。それでもKは…メタ的に言えば自分がこの映画の主役ではなかったことを映画の中で知るわけだけど、誤読の暴走によって最終的には自分のストーリーを得ることが出来たんだよな」
ミノ「あと、オリジナル版を引き継いでるなと思ったのはジャポネスクな街の感じかな。そういえば俺、この間秋葉原を歩いてた時に、ちょっと路地に入ったところにマッサージ店のネオンの看板があってさ、それに「疲れた貴男を癒すマッサージ、店員は全員日本人女性です」って誇らしげに書かれていたんだよ。あーなんかディストピアっぽいな、『ブレラン2049』ぽいな、って思ってさ。そこで、『ブレラン2049』の日本っぽさの引用って、ヴィジュアルだけじゃなくて、精神的なところも含んでるんだなって思ったの。要するに、「貧しい」「HENTAI」「排他的」っていう、今の日本の闇要素」
ぢゅん「いや俺ね、最初2049を観た時、今想像する未来の街にしてはずいぶんダイバーシティが欠如してるな、って思ったんだけど。未来のLAじゃなく鎖国化した未来のアキバなんだ、って言われるとちょっとしっくりくるかも。性的イメージに溢れてるけどあくまで男性権威主義的であるところとか、日本的HENTAIカルチャーの引用なのかもね」
ミノ「オリジナル版の街の貧しさを一切のロマンチズムを排して見つめた時に、想像できる一番暗い未来予想図、って感じだよね。ハイテクにはなってるけど、何も進歩していないっていう、どん詰まり感」
櫻丼「排他的、っていうキーワードでいうと、この映画って繰り返し「skinjob」っていうレプリカントへの差別用語を使ってて、人間一レプリカント間の差別構造を強調していたじゃない。でもそこで更にえぐいのが、そうやって人間に差別されているレプリカントのKもまた、自分がJoiを所有する権利とか、娼婦のレプリカントを抱く権利に対して疑問を抱かないっていう」
相場「Joiがコールガールを家に呼ぶシーンさ、「あ、これは『her』で観たからわかるぞ、「こんなの良くない」ってKが断…ってやるんかい!!」って心の中でツッコんじゃったよね」
櫻丼「その上、マリエットはJoiに「あんたの中身は大したもんじゃない」と捨て台詞吐いていくんだよ。人間>男性型レプリカント>女性型レプリカント>Joi>>>>旧型レプリカントっていう、差別構造がどんどん下っていく様態を見せているよね。あの街に明らかに売春役をやっているのが女型レプリカントしかいないとか、Joiに女型しかいない…というか見せない、という点にも現れているけど。下っていく特権意識の地獄…」
ミノ「あの世界で、身体的にはレプリカントのほうが強靭で優れてるっぽいのに、それでも人間がヒエラルキーの一番上を保持できてるのは、人間には「魂がある」から、っていう疑似科学…というか、一瞬の神話だよね、を使ってる。一見そんなこと?って思えても、疑似科学と差別主義の相性の良さは歴史が証明しているし…」
櫻丼「長年かけて刷り込まれた価値観には簡単に勝てないっていう。人間社会に対して革命を起こそうとしているレプリカントたちでさえ、結局掲げてるモットーが「人間より人間らしく」だよ。人間らしさ、ということへの強烈なコンプレックスだよね」
ぢゅん「非アーリア人は世界を堕落させる、女には理性がない、レプリカントには魂がない…」
相場「それに反論しようがないもんな、おまえには魂ないです!って言われても」
ミノ「魂も生命の誤読だからな」
櫻丼「そう考えるとKがいかに「自分は特別」っていう考えに縋りつきたかったかってことだよ。Joiが何度も「だから私言ったでしょ、あなたは特別だって」と言うのも、Kがそう思いたかった、ということの現れだもんね。Joiは顧客であるKの喜ぶ事を言い、喜ぶことをするようにプログラムされているだけなんだから」
ぢゅん「だからJoiはKの鏡像のようなもんだよね。彼はずっと自分の影を抱きしめていたに過ぎない。俺、最初の方で、雨の中を2人で繰り出していったKとJoiがお互いを愛撫する…というか、実際には触れられないんで、愛撫するフリをするシーンが、まるで「恋人同士」っていうタイトルのダンスの振り付けを踊っているみたいに見えるところが好きだな。振りがあるから恋人なのか、恋人だから振りがあるのか」
ミノ「マリエットとJoiが融合するシーンも、まさに振り付けをなぞってるみたいだよね。性行為のパントマイムをしている、みたいな」
ぢゅん「Kの後頭部をダブった指が撫でるところは映像的にも好きだな。Giovanni SollimaのMVで、チェロを弾く腕がどんどん増殖していくやつがあるんだけど、あれに似た奇妙な綺麗さがある。でも、映画はJoiとKのロマンスをロマンチックには描こうとしてないな、って俺は感じた。っていうのも、ロマンチックが高まりそうになると、そのあと必ず水を差すショットが入るんだよね。最初の雨デートのシーンでも、途中で上司からメッセージが来てJoiが止まっちゃう」
相場「ラブプラスに話しかけてたらお母さんが部屋入って来たみたいな気まずさがあるシーンだよね!」
ぢゅん「あの時、フリーズしたJoiをがっかりしたような、ほとんど失望したような感じで雨の中に置き去りにしていくのが印象的なんだよな。急に画面の温度が下がる」
ミノ「そういえば、シンクロ3Pシーンの直後にもわざわざ窓の外で光っているJoiの広告を映すんだよな。踏み潰されてJoiが”死んじゃった”後も、でっかいネオンのJoiがKに「あなたgood joeね」って話しかけることで、ジョーっていうのが特別な名前じゃなくデフォルトの決まり文句だったことを知る、っていう冷酷な展開がある」
ぢゅん「あれがロマンチックな関係じゃないってことに関しては結構釘を刺してる風に思えるんだよね。だから実質、Kって誰ともまともに”関係”してないんだよ。Joiとも、上司とも、もちろん革命軍の任務のために近づいて来ただけのマリエットとも。人生を通して、彼が初めて個人として”関係”することができたのはデッカードだけだった。でもそれは最後まで、名前を付けることのできない”関係”だった」
櫻丼「最後に降ってるのが雨じゃなくて雪なのもうまいよ。雪の結晶には同じ形のものがない。自分の似姿を追い続けたKだったけど、あそこでやっと自分がオリジナルな存在に思えたんじゃないかな。すごい個人的な映画だよね。”わたし”に始まり”わたし”に終わるみたいな」
ミノ「なんかそう言われるとけっこう良い映画だった気がしてきちゃうけど、俺はなんか、いちいち大げさなところが気にくわないんだよな。音楽とかいちいちでかいし」
相場「えっいいじゃん音楽。ヴォォオブニュゥンファおおおおおおゥゥヴヴwwwwwみたいなのいいじゃん!!!!!」
ミノ「長過ぎてケツ痛いし」
櫻丼「それヴィスコンティの『山猫』を図書館の視聴覚室のパイプ椅子で完走した俺を前にして言えんの?」
ミノ「大体あの、悪役が最悪なんだよな、ジャレッドレトの。ああいうセリフが全部芝居がかってる悪役とかだいぶ時代遅れだろ」
ぢゅん「は?ジャレッドレトdisんの?あんな顔面が完璧に黄金比な上ロックバンドまでやっているありがたい人材を??」
ミノ「ええーっなんだよ今日はみんな敵か??ちょっとリーダー、リーダーは?!」
リーダー「気付いていなかったか?俺はみんながブレードランナー2049を観ている間、隣の劇場で『エイリアンコヴェナント』を観ていたことを。俺はビビリのおまえらがヒヨって一生観ることができない景色を観てきた。しかしそれももう終わる。眠い…」
ミノ「寝た…」
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