嵐とみる『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

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櫻丼「この居酒屋まで『エブエブ』タイアップメニューを始めたとは!」

ぢゅん「さらにSNSにハッシュタグをつけて画像を投稿すると豪華プレゼントが当たる施策まで!」

ミノ「アカデミー賞効果すごいな!でも、”TikTokでも大人気のエブエブ!”のノリで観に行ったら驚くほど安定のA24作品だった…って感じにならない?逆に」

相場「でもさ、若い人が興味をもってくれるきっかけになる分には全然いいんじゃない」

バイトリーダー「お客様、エブリシング・ベーグル風イカ墨ポテサラお待たせしました」

櫻丼「黒いって部分しか要素がかすってないなあ…」

バイトリーダー「僕も観ましたよ、面白かったですよね」

相場「おお!店員さん的には、どんな感想でしたか?」

バイトリーダー「そうですね…『エブエブ』を観て、まるで自分が宇宙そのものに溶け込んでいるかのような感覚に陥りました。驚異的な映像美に圧倒され、物語に引き込まれるように深い感情移入ができました。心に残る映画体験をありがとうございます! #エブエブ開眼 #感動 #映画好きと繋がりたい」

櫻丼「な、なんだそのChat GPTに「映画『エブエブ』の感想ツイートを考えてください」って出力させたみたいな感想は!(※)」

ぢゅん「誰に感謝しているんだ」

ミノ「しかし今の時代、AIにそれなりの感想が書けてしまうなら、自分で書く必要ない気がしてくるよな」

櫻丼「いやいや、そんなニヒリズムな考え方しちゃだめだって!それこそエブリシングベーグルに引き込まれちゃうよ」

相場「そうだよ、確かに俺たちはいつもこうして居酒屋に集まって映画の感想で管を巻くぐらいしか能のない中年の集まりだけど…」

ぢゅん「言うね」

相場「でも、実はそういう俺たちにこそ無限の未知の可能性があるんだって言ってくれてるところが優しいじゃんエブエブは。実際、別次元では俺たちが国民的アイドルになっていた未来とかだってあったのかも…」

ぢゅん「冷静に考えたら絶対自分がそんな成功してるわきゃないんだけど、SNSで輝いてる他人を四六時中見てると、自分にもチャンスあったんじゃないかとか、”何者”かになりえたかもしれない、し、”何者”かにならないと価値がないような気がしてくるっていうのは、一般的に陥りやすい心理だよねえ」

櫻丼「めまぐるしく変身するジョブトゥパキはまるでアバターを着せ替えてるみたいだし、インターネットのアナロジーとして見ることができる部分が多いよね。エヴリンが色んな空間に忙しなくぶっ飛ばされる描写は、彼女がADHDなんじゃないか、という想定をして書かれたらしいけど、俺はHTMLのハイパーリンク的にも見えるな、と思った。読もうと思った元の文章から、ハイパーリンクを巡っていくことによってどんどん思考が横滑りしていって、結局ひとつの考えに集中することができなくなっていく。しかも、ハイパーリンク的世界では全ての情報が等価に並んでいるようにみえて、結局全てがどこまでいっても堂々巡りなような気がしてくる」

ミノ「そうなってくると、結局インターネットで15分だけ有名になってハイパーリンクの一部になるのも虚しくなって、じゃあ何に意味があるんだろうって思ったら、それは日々積み重ねてきた生活、日々積み重ねてきた時間にこそ意味があるんであって、いやむしろそれにしか意味がないかもしれないっていうのを、俺はこの映画の結末に感じたんだよな。その、全てが生まれる可能性を孕み続けているカオスの状態、倍速視聴で早送りされる部分こそ抱えていく価値があるっていう」

ぢゅん「エヴリンとウェイモンドとジョイが、それぞれ最終的に家族で一緒に生きて行こうっていうのを選んだのも、ただ「家族だから」とかじゃなくて、今までの時間を想ったからだよね。なんか、一緒に笑った時もあったじゃん、わたしたち完全にはわかりあえないとしても、そういう時間が全部無意味だったわけじゃないよねって」

相場「アメリカの家族を描いてる映画だと家族間で頻繁に「愛してるわ」っていうけど、そういう感じじゃないのが同じアジア人としてリアルだったな。ていうか、アメリカの家族が「愛してるわ」ってよく言ってるのも、そう口に出すことで家族っていう契約をその都度結んでるってことなのかもしれないね、アメリカって、契約社会だって聞くし…」

櫻丼「そうなのかな…。わたしたち完全にはわかりあえないとしても、ほんというとみんながちょっとずつ寛容になれればいいよねって精神は、エヴリンの最後の戦い方にも現れていると思った。戦うってことは必ずしも自分の主張を押し通すということじゃなくって、お互いが少しずつ譲歩したり相手の立場にたってみることができればいいんだよな〜って。なんか、SM趣味のひとのお尻を叩いてあげるでしょ。人にはSM趣味じゃなくても他人に理解されにくい趣味とかってあると思うんだけど…」

ぢゅん「俺も実は、ティーン向けの胸キュンラブコメドラマを密かに観てしまう趣味がある…」

櫻丼「なんか、俺にはわからんけどそれも全然ありかもね!っていうことで人生が祝福されるというかね」

相場「とはいえ、犬蹴るのが趣味とかだったら祝福できないよね!」

ミノ「あれ、アメリカにも「ポメラニアンを自分のグッズ扱いするインスタの女」をおちょくるみたいな観念あるんだ…ってところに感心してしまった」

相場「でもポケモンもああいうことでしょ?ポケモンに戦わせてるじゃん、友達といいながら…」

ぢゅん「とにかくコメディのバカバカしさが振り切っていたよね」

櫻丼「バカバカしい行いをするとより遠くへジャンプできるって設定によって、オフィスでアナルプラグをケツに挿すことが、オフィスで仕事をすることより重要になるわけだよね。物事の重要さのヒエラルキーがひっくり返ることが、別次元へ移行することにつながるっていうのが面白いしなんか納得する」

ミノ「実際、バカバカしい行いをしてみることって現実の位相を変えると思うんだよね。卑近な例えになっちゃうけど、例えば特に目的はないんだけど会社から回り道して知らない道を通って帰るとか、スキップしてみるとか大声出すとか、それだけでも日常というものからちょっと浮ける」

ぢゅん「あと、はたから見るとバカバカしく見えることが、本人たちにとっては切実で美しいものだったりするっていう側面もある。手がソーセージの人間が愛し合っている様子とか、バカバカしいように見えて、でもすごく切なくて愛おしかったな。軽薄さと深淵さが人知の及ばない摂理によってつながっていく感じ、『銀河ヒッチハイクガイド』っぽいよね」

ミノ「俺は、思想的にはデイヴィッド・オライリーのゲーム『Everything』からも影響受けてるんじゃないかなって思う。「すべてのものになれる」っていうコンセプトのゲームで、プレイヤーは鹿になったり、虫になったり、石ころになってころころ転がることもできる。そうやって周囲の環境と「ダンス」することができる。ゲームの中ではアラン・ワッツのスピーチが引用されていて、その中のひとつに、「あなたは自分という存在がビッグバンの結果であり、またそのプロセスの終わりだと思っているだろうが、あなたはプロセスそのものであり、あなたがビッグバンなのです」ていうようなのがあってね。だからエヴリンは石になろうと洗濯屋になろうと、カオスとダンスしていくことを選んだんだと思うよ」

※実際にChat GPTで出力した文章です