嵐とみる『バビロン』

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相場「上映時間が3時間超えって聞いたときは、どうかな、そんな長い時間耐えられないよって思ったんだけど、だからこそ、最後はめっちゃ感動したわ」

ぢゅん「おお」

相場「自分が最後までおしっこ我慢できたってことに…」

ぢゅん「そっち?」

ミノ「いやこれは深刻な問題だから」

櫻丼「でもこんなメタっぽい作品なんだったら、「インターバル」という映画の良心を復活させてみるっていうのもアリだったとはおもう」

相場「そうだよ!そうしてくれたら「うわ、この映画めっちゃ観客のこと考えてくれてる!真の映画愛映画だ!」ってなるし」

ミノ「なんならどうでもいいシーンの時に「トイレ行くなら今!」みたいなテロップを出してくれてもいい」

ぢゅん「どうでもいいシーンはカットしてくれよ」

相場「映画ではトイレじゃないところでトイレしているシーンが多かったね」

ぢゅん「でも、前評判から相当エログロナンセンスなのかと身構えていたほどではなかったから安心したかも。エログロはあってもナンセンスではなかったからなのかな」

櫻丼「わかる。皆すごい筋が通ったエログロしてた。乱交すべきところで乱交し、ゲロすべきところでゲロしてたので、「え、な、なんでそうなるん…」みたいに不安になる狂いがなくて、整然としていた。多分糞尿描写をやりたくてやってるというよりは、ラストを神々しく見せる高低差を作り出すための下品演出なんだよね」

ミノ「トビーマグワイヤのギャングも、本当に頭のネジが飛んじゃってるやつというよりは、”初カキコ…ども…俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは”…みがあったな、なぜか。地下の怪人も、2階層も降りさせたわりにネズミ食べるだけはちょっと弱いかな。それだったらスーパーの豚ミンチ生で食べるって言ってたジュディマリのYUKIのほうがやばいでしょ」

ぢゅん「それは、「あえて」そういう感じにしているんじゃないかな」

相場「なんであえてそうするの?」

ぢゅん「LAのギャングも業界人もみんなワナビーでしかないうすっぺら、みたいな」

櫻丼「まあ、そういう見方もあるかもだけど、でも「あえて」とか「逆に」とか言い始めると言ったもの勝ちみたいになってくるからいやなんだよな~」

相場「じゃあ今日は、「あえて」と「逆に」禁止で感想言ってこ」

ぢゅん「急にカタカナ禁止ゲームみたいなの始まった」

ミノ「ついでに今日は「チャゼル」っていうのも禁止な」

櫻丼「えッ、なんで監督の名前言っちゃいけないんだ」

ミノ「チャゼルの映画観るとさ、みんな映画じゃなくてチャゼルの事語りだすから。でもここは映画を語る会だから。チャゼルを語るな、映画を語るんだよ!」

ぢゅん「でも、この場面に監督の作風が出てるよなあ、とかいうのだって普通に映画の感想の一部じゃん」

ミノ「昔『WINDING ROAD』という曲でコブクロと綾香がコラボした時があっただろ」

櫻丼「急に何の話なんだ」

ミノ「あの時期にコブクロがさ、「綾香の「私、歌うことが好きなんです!」感がすごすぎて、なんか「お、俺だって歌うこと好きだし!」みたいな悔しい気分になるって話を音楽番組でしていたんだよな。俺は『バビロン』観てその時のコブクロと全く同じ気持ちになったから、チャゼルに対して」

相場「いやだからミノが一番チャゼルの話したいんじゃん」

ミノ「でも歯がゆいんだよな、チャゼルにはもっと等身大の映画を撮ってほしいんだよ俺は。映画史みたいな大きなテーマじゃなくて。アイドルのオーディションで、16歳ぐらいの子がパフォーマンス審査でMISIAの『Everything』歌おうとしてたら、いや~わかるけど~どうかな~ってなるだろ」

櫻丼「一語一句めんどくせえな。ただ『バビロン』は作家性とかを越えてかなり作家の自我っぽいものが透けて見える感じしたよね。「自分より大きなものの一部になりたい」っていうのが登場人物の願いというよりは監督自身がそうなんだろうなっていう。だから「いやそれじゃ監督としてあくまで作品に殉じるということが出来てないじゃん!」って腹が立つ人も、「監督と同じ夢が見られてエモい!」と感動する人も、両方いるだろうね」

相場「賛否両論になりがちだよね。でもやっぱり最後かなあ、びっくりしたのは。あの数秒で使用料、すごそう…って思っちゃった」

ぢゅん「よぎるよね。『アバター』とか組み込んでくるところで、主人公のマニーの主観より未来まで描いちゃってることになるんだけど、それは「彼も映画を通じて未来の一部になった」という表現であると同時に「マニーは今映画を観ているあなたでもある」みたいな風にもとれる。でも、ちょっと難しいギミックだったかな、って気もする」

櫻丼「あくまでマニーの主観で、彼が好きだった過去の偉大な映画たちに走馬灯のように思いを馳せるってだけでも良かった気はする。観客がそこに自分の映画への想いを重ねるっていことは十分できるし、そもそもキャラクターの個人的な体験に自分の心を重ねることができるというのがドラマの力でもあるから。そこを越えて、「ああ、暗闇で光の三原色に夢を観ずにはいられない”僕たち”を祝福する、それは素晴らしいことだ!」みたいなところまでメッセージ性がいっちゃうと、うーん、なんていうのかな、いや素晴らしいかどうかはこっちで決めることなんで……って引いちゃうってのはある」

ぢゅん「映画がもっとポピュラーな大衆文化だった時代ならいけたと思うんだけど、今や映画観るってちょっとオタクとかマニア寄りな趣味になっちゃってるじゃない。だからなんか、エンターテイメントに希望を見出す市井の人々へ祝福を、っていうより単に映画オタク礼賛っぽく感じられちゃうのもある」

相場「主語がでかくて炎上するツイートみたいなところがあるんだね、チャゼルの映画は」

櫻丼 「それそのままツイートしたら結構伸びそう」

ミノ「そうかもしれない…。5年前の俺だったらパクってツイートしてるところだよ。でも俺はもうそんなことしない。なんか疲れちゃったんだ、ツイッターにも…バズにも…炎上商法にも…。もう俺も、時代遅れなのかもしれない」

相場「そんな、ミノ、死なないで」

ミノ「死ぬとは言ってない。でも、死にそうなブラピの醸し出す悲哀は良かったよね」

ぢゅん「ジャックもマニーも過去に囚われた男の悲哀があったな。マニーはずっと、ネリーに「夢を、見ていた」時の2人の思い出を見ているんだよね」

櫻丼 「なんか、人間ドラマパートは凡庸なんだけど、だからこそ凡庸な美しさみたいなものがあって、俺は結構好きだった。途中でゴシップ屋の人がジャックに「こんな話は何千回も繰り返される」って言ってたけど、そういうsame old storyが繰り返し求められるのは人間のさがなわけで、だから陳腐とかベタっていうのは繰り返しやっていいと思うんだよ。あと、サイレントからトーキーへの転換期にかつてのスター女優が落ちぶれていく、というのはネタ元の『雨に唄えば』だと「彼女は悪声だからトーキーがやれなかった」という筋書きになっているんだけど、『バビロン』のほうでは、奔放な身体的表現こそが魅力だった彼女がそれを発揮しにくい撮影システムになってしまった、という風に描かれていたのが良かった。技術が進歩したことで、逆に世界が彼女の魅力に追いつけなくなってしまったんだ、という」

リーダー「まとめると、良いところもあり、良くないところもあり、まるで俺の人生みたいだな、と思いました」

相場「深い……」