荒ぶるゲーマーミノ。ゲーマーにとって、映画アサシンクリードとはなんだったのか。
櫻丼 「今回はミノの一存によって『アサシンクリード』を観にいったわけだけども」
ミノ 「はい」
櫻丼 「いや正直ね、俺は最初反対だったの。原案のゲームもやったことないから思い入れもないしさ、”なぜこのタイミングでこのゲームの実写化したんだろう”っていう背景がまったくわかんないし」
ミノ 「はい正解」
櫻丼 「ん?」
ミノ 「おめでとう」
相場 「おめでとう」
リーダー 「おめでとう」
櫻丼 「え?いきなりエヴァンゲリオンの最終回みたいな展開怖い。相場くんとリーダーもよくわかってないのに適当に合わせるのやめなさいよ」
ミノ 「櫻丼くんは、なぜ今、『アサシンクリード』を観るべきだったのか?ってポイントをちゃんとわかっているじゃないか!」
櫻丼 「いや俺は、単にミノがゲームのファンだから観たいだけだと思ってたんだけど?」
ミノ 「まあそれもある。だけど今『アサシンクリード』を観ることはもっと根本的に、俺のゲーマーとしてのアイデンティティーに関わる問題だったんだ。いちゲームを愛する者として、”なぜ今このゲームを映画化したのか”という問題だ」
ぢゅん 「おおげさだなあ。それで、なんでアサシンクリードは映画化されるべきだったの?」
ミノ 「それがまったくわからないんだ。わからないというところが、重要なんだ」
相場 「ミノ、まだ『ラ・ラ・ランド』で連れてきためんどくさい人のオーラ引きずってない?大丈夫?」
ミノ 「だ、だいじょうぶだよ!そのアイスピックなに?俺のことロボトミー手術しようとしてる?」
相場 「正常か。よかった」
櫻丼 「わからないところが重要っていうのがわからないよ。基本的に、漫画とかゲームの実写化みたいな企画って、原作ファンが既にいるからアピールにかかるコストが小さいとか、要するにお金儲かりそうってところが原動力じゃないの」
ぢゅん 「おい!ファスベンダーを金の亡者みたいにいうなよ!」
櫻丼 「言ってないけど…」
ぢゅん 「あのね、この映画は主演のファスベンダーがプロデュースもしているんだよ。しかも以前に『マクベス』で仕事をしたジャスティン・カーゼル監督を引き連れてね。俺はそこにファスベンダーがこの作品にかける並々ならぬ情熱を感じるし、なんか絶対お金のためだけじゃない、もっと高尚な目的のために作ってるじゃん絶対そんなの。映画という芸術に寄与するつもりでやっているだろ」
櫻丼 「へえ、そういえばマリオン・コティヤールも『マクベス』組だね」
ぢゅん 「カーゼル監督は『マクベス』の前に、『スノータウン』っていう映画で注目を集めたんだけど、これがまたかなりの鬱映画なんだよね。陰惨な連続殺人にとそこに関わる少年、近親相姦、性的虐待、貧困…。実話ベースっていうのもあるけど、肌にまとわりつく厭〜な感じ、っていうのがすごい」
相場 「ああ、アサクリでも、人が死んでるショットはなんか異様に迫力あったもんね」
ぢゅん 「ちなみに、今作で音楽を担当しているjed kurzelは監督の兄弟で、『スノータウン』からずっと組んでるんだよ」
ミノ 「前作まではもろポストクラシック系って感じだったけど、『アサシンクリード』ではありがちなアクション映画の音楽からミニマルな感性にちょっとだけ逸れる、って感じがクールなんだよね」
ぢゅん 「そう。ださくないんだよね〜。エンドロールの曲もいいでしょ?なんとあのマッシヴアタックの3Dとヤングファーザーズのコラボだから。このユニット、ロザムンド・パイクをフィーチャーしたPVも激ヤバだから!ヤングファーザーズは『トレインスポッティング2』のサントラ参加もしてるし、注目の若手だよ!」
相場 「アサクリは大作映画って感じなのに、兄弟とか、仲間内でずっと組んでて家庭内工業感があるの面白いね」
ぢゅん 「家庭内といえば、主人公の父親役でブレンダン・グリーソンが出てただろ?」
櫻丼 「あの人どこにでも出てくるよね」
ぢゅん 「実は息子も出ていたんだよ」
相場 「えっ?『スターウォーズ』の将軍とか『レヴェナント』の隊長の人?」
櫻丼 「あの人もどこにでも出てくるよね」
ぢゅん 「それは長男のドーナル・グリーソン。今回はその弟のブライアン・グリーソンが出てたんだよ。しかも若い時の父親の役でね」
相場 「つまり大グリーソンの若い頃を小グリーソンがやっていたっていうの?!」
櫻丼 「大バッハみたいな言い方…」
相場 「そんな便利なグリーソン使い許されるの?ていうか、今の映画界はグリーソンに牛耳られすぎじゃない?!グリーソン以外の俳優にも公平な機会が与えられるべきだよ!!」
櫻丼 「与えられてるから安心して。グリーソンって別にそういうセクトじゃないからね。それで何の話だったっけ。ファスベンダーは金儲けのために『アサシンクリード』を映画化したのか否か?」
相場 「少なくとも突然の上半身裸はお金のために出していたよね」
ぢゅん 「そんなことないよ!ちゃんと芸術的に意味のある脱ぎだったじゃん!高尚脱ぎだよ!ビジネス脱ぎじゃないよ!」
ミノ 「矢筒の肩ひもでパイスラ効果を狙っていたじゃん」
ぢゅん 「パイスラのための弓チョイスじゃないよ!高尚チョイスだよ!」
相場 「俺あんな狭いところで戦うのに弓矢チョイスする人見たのレゴラス以来だもん」
ぢゅん 「くっ、じゃあ一歩譲ってあれはビジネス脱ぎだったとするよ。でもファスベンダーにも監督にも、なにか映画人として伝えたいことがあってこの映画を作ったはずなんだ…」
櫻丼 「上手い役者が揃い過ぎてて謎の重厚感はあるよな。おかげで、途中まで、人の暴力性は”治癒”できるか、ってテーマを『時計じかけのオレンジ』とか『ブロンソン』ばりにやるのかと勘違いしていたもの。あ、これそういう映画じゃないんだ、って気付くのに時間がかかってしまった。あくまでアサシンクリードっていう世界観の再現なんだなって」
ミノ 「俺はこの映画を観てこう思ったんだよ。「これはまさに『アサシンクリード』そのものだ!でも操作だけができないんだ」って」
櫻丼 「でもそれは、「よく映画化できている」ってことじゃないの?」
ミノ 「そうだよ。この映画は『アサシンクリード』の『アサシンクリード』っぽい要素をよく抽出していると思う。だけどさ、この図式がちょっといびつなのは、『アサシンクリード』の『アサシンクリード』っぽい要素のひとつは”映画的である”っていうことなんだよな」
相場 「確かに、最近の海外ゲームのムービーってすごいよね」
ミノ 「海外ゲームの中でも、和製英語でコンシューマーゲームと呼ばれるジャンル、スマホゲームと対になる、いわゆる家庭用ゲームのことを指すんだけど、『アサシンクリード』っていうのはその生き残り的な作品でもあるわけなんだ」
櫻丼 「生き残り?」
ミノ 「今はソーシャルゲームが主流で、世界観の閉じた劇場型のコンシューマーゲームっていうのはだんだん流行らなくなってきている。単純に開発費もかかるし結構厳しい世界だよな。相場くんの言う通り、挿入ムービーや脚本はほとんど映画みたいだ。というか、アサクリしかりFFしかり、金のかかったコンシューマーゲームがゲームの没入感のために目指している方向が「映画に近づく」ことだった、というのがあると思う」
櫻丼 「ゲームは映画になろうとしている?」
ミノ 「でも、ゲームのムービーや脚本や音楽っていうのは単なる要素のひとつであって、ゲーム性の本質じゃないだろ?ゲームの本質っていうのはそのルールに他ならないわけで。最近のインディーゲームの盛り上がりには、そういう原点回帰の流れがあるんだけど」
ぢゅん 「ええっと、つまりテトリスとかパックマンみたいな?」
ミノ 「うん。テトリスなんて、ゲーム自体がむき出しのルールだよね。例えば単純な○×ゲーム、これに、○を付けるたびに壮麗なグラフィックが出現するゲームがあったとするだろ。でもゲームの芸術性はそのグラフィックに宿るわけじゃないよな。それは芸術的なゲームではありえるかもしれないけど、ゲーム自体が芸術なのかどうかっていうのは、そのルール、その制約によって俺という存在が心的な影響を与えられるかということで…」
相場 「じゃあこの○×ゲームに負けた人が今日の飲み代全部持つってルールを作ったらそれは”人生に意味のあるゲーム”になるよね?」
櫻丼 「○×ゲームで奢る人を決めるのか…。やってもいいけど、いい結果にならないとおもうよ」
相場 「なにそれ!びびってんだろ!やろうぜ!」
ミノ 「それで、『アサシンクリード』を映画的に映画化することは、操作できない…完璧に受動的な『アサシンクリード』を作り出すことだ。そもそも、『アサシンクリード』というゲーム自体、先祖の記憶を追体験する、という劇中劇的な作品なわけで」
ぢゅん 「でも、映画とゲームの違いって本当に入力の可否だけなのかなあ。映画には映画にしか表現できない何かがあるはずじゃない」
ミノ 「うん、あるはずだと思う。それで、カーゼル監督は実はそれを探すためにこういう作りにしたんじゃないかって気もしてるんだ。『スノータウン』は現実を志向した映画で、『マクベス』は舞台劇を志向した映画だった。映画が現実を現実っぽく映そうとすればするほど、それは映画と現実の差異を浮き上がらせるし、映画が舞台劇になろうとすればするほど、それはお互いの限界のコントラストを引き立てる。監督はいつも映画の限界を試そうとしているように見えるんだ。だから、映画がゲームを目指そうとしたとき、そこにある境界、…映画にできることとは何か…を捉えようとしたんじゃないか」
櫻丼 「映画は物語を観客が操作できないっていうのは当たり前のことのように思えるけど、だからこそ映画っていうのは「作り手の見た夢」なんだよな。『コングレス未来会議』に予言されたみたいに、いつか映画はそれが自分の夢であるみたいに、各々の脳内で勝手に書き換えられるような娯楽になるのかもしれないけど、俺はそれってあんまり流行らないかもしれないと思うんだ。だって俺たちは”他者の欲望を欲望する”ことをしたいんであって、だから映画にはいつも誰かの夢であってほしいんだ」
ぢゅん 「ところで、○×ゲームの勝敗は決まった?」
相場 「それが、何回やっても引き分けになっちゃうんだよね…」
櫻丼 「というか、○×ゲームって、お互いに勝とうとする限りは永遠に引き分け続ける仕組みになっているんだよ」
相場 「な。なんて無益な…やっぱり争いっていうのはこの世界に無益しかもたらさないんだ…」
ミノ 「ゲーム性が哲学を生み出している…!」
相場 「よし、この場合、寝ているリーダーが負けというルールを作ろう」
リーダー 「チートだ…」
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