嵐とみる『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

Share

生き抜こう2021

ぢゅん「俺たち、世代的には一応皆エヴァ通ってるけど、この中で一番鑑賞歴が長いのはミノだよね?」

ミノ「リアルタイムでTV版を観ていたからね」

櫻丼「俺とぢゅんくんは大人になってから旧劇を後追いしたパターンで、相場くんは新劇場版から見始めた人で、リーダーに至っては今日に合わせて序破Qのあらすじをwikiで一夜漬けしてきたという」

ミノ「多分この世でそんな人リーダーしかいないと思う」

リーダー「いやだって皆に急に観に行くぞ!って言われたからさ…」

櫻丼「やっぱ長年観てきたミノにとっては完結は感慨もひとしおって感じだったんじゃない?」

ミノ「うーーーん、まあそこは色々複雑っすよね」

相場「え、さっき映画館出た時は「ありがとう、庵野監督、ありがとう、すべてのヱヴァンゲリヲン…」って天を仰いでいたのに?!」

ミノ「観終わった瞬間は確かにそう思ったんだよ。何か凄い感動したしすっきりしたし。でも、「あれ、俺感動してすっきりするためにエヴァを観に来たんだっけ?」とも思ったわけ」

ぢゅん「めんどくさそうだな、また」

ミノ「だってさ、エヴァって子供の頃に触れた初めてのトラウマ的作品だったんだよ。なにかとてつもない、得体の知れない”なにか”だったわけ。あの頃世間的には「考察本」とか流行ってたけど、子供の俺としては圧倒的な「説明されなさ」それ自体に魅かれたわけで。それと同時に不安と死と性の渾然とした匂いがなんかショックでさ」

櫻丼「その感じはちょっと分かる。というか、俺はテレビでやってた時はちゃんとエヴァ見てなかったけど、結局「見てなくても見てる」んだよね。…特に俺たちの世代は、「それが放送されている空気感」を含めて「日本の風景」だったから。書店に行くと雑誌の表紙に「なんかちょっと絵柄が違う」レイとアスカが水着姿でにっこりしてたりして、違和感を感じつつ「なにか」を察したりっていう、そういう思い出が90年代の空気と結びついてあるんだよ。レイが「何人目」だとかって台詞を知らなくても、シンジがボロボロになったアスカをオカズにする場面を見てなくても、俺は既に見てるんだよ、本編では世界を救うために命をかけて戦っているはずの少女たちのイメージが大量に「複製」されて、性的に消費されているって風景はね。で、その時俺は子供だったから、なんかそれ自体がちょっとだけ心の傷みたいに残ってるんだよな。結局、見てたって見てなくたって」

ぢゅん「エヴァよりちょっと後に放送されてた『serial experiments lain』とかもさ、ちゃんと内容追って見てたわけじゃないんだけど、自分が見ようが見まいが、もうそれが放送されているってこと自体が心を不安にさせるんだよ。ああいうアニメは放送されていること自体がトラウマなの」

ミノ「だからさ、そういう古くて深い心の傷が、あれ、こんなに分かりやすく浄化されていいんだっけ?と思っちゃったんだよな。これってただの消費じゃないかと」

ぢゅん「いや俺は浄化されて良かったと思ったよ。ていうか、ミノみたいに能動的に傷つきたい人にとっては食い足りないところあるのかもしれないけどさ、こっちはそもそも受動的に受けてるからね傷を。あの時世間から勝手に負わされた俺の傷を浄化する責任があるから庵野監督には」

櫻丼「いいけど、すげえ偉そうだな」

ミノ「あと、ヱヴァを終わらせることだけが目的の映画になってて、表現としての新規性がないようにも感じた。敢えて今までのヱヴァのスタイルをなぞっていくことでループを閉じる作りになっているから」

櫻丼「そうかなあ。そっくりさんアヤナミがプラグスーツ着て田植えしているところなんか絵的に新鮮だったよ」

相場「あれは監督が『インターステラー』のコーン畑を観て「日本だったら田植えだな」と思って入れたんじゃないかな?!」

櫻丼「そもそもSF映画に農業ってよく出てくるからねテーマ的に」

相場「マットデイモンが火星でジャガイモ育てるやつとかね」

櫻丼「『サイレントランニング』とか。人間らしさ、人間らしい営みのモチーフというかね。シンエヴァには、「人智を超えた存在や技術の前で、私たちはどう人間らしくあることを証明できるか」というテーマ性がかなりあったよね」

ぢゅん「まさにアヤナミそっくりさんが日々の生活を通して人間性を獲得していく過程があったし」

相場「あれ「どこいつ」のトロみたいで面白かったよね」

ミノ「あのアヤナミ、あとに”肉”さえも残らないっていうところが悲しいけどね。関わった人たちの記憶だけが彼女が存在した証明になるんだね」

櫻丼「終盤に画面がスケッチだけになる部分があって、ああ映画って単なる「紙芝居」に過ぎないんだなあって感じさせるけど、その紙芝居にこんなに夢中になれることもまた人間らしさなんだというか、こんな創造が出来るんだから、捨てたもんじゃないでしょう人間は、みたいな希望が、あのなんちゃらの槍なんだという」

ぢゅん「あと、あの村パートが意外だったのは、主人公が「世界の終わり」の引き金になってその十字架を背負う、まではよくありそうな話かな、と思うんだけど、「とはいえ世界ってそう簡単には終わらないよね」というところを描くのかという…。SFセカイ系的に”映え”ない部分を敢えてやるんだ、っていうのがね。でも米は一日で劇的に育たないし、最悪のことが起こっても生活は続くし、生きていくことでしかこの世を良くしていくことはできないよって」

櫻丼「俺、最初はこれはスピルバーグ監督にとっての『レディ・プレイヤー・ワン』みたいな、庵野監督にとっての「今まで遊んでくれてありがとう」をやったんだと思って、だからラストは「現実に戻って家族を持ってまともな大人になってね」ってことなのかと思ったんだけど、今考えると、ただ「エヴァが終わった後にも生活はある、その世界を生き抜いてね」って言っているだけだったのかもしれない。「生きてね」ってだけ」

ミノ「あの頃日本の十代全員の心に傷をつけた作品がそんな優しみあふれることある?」

相場「こ…これが人間の成長…」

ぢゅん「いやみんな大人になったんですね本当に。いつの間にBeautiful Boyがシンジからゲンドウになっていたんだろう」

櫻丼「最初は「男の子だって繊細でいい、戦いから逃げ出したくなってもいい」っていう男の子への重圧の開放だったものが、「おじさんだって弱音を言っていい、慰められたっていい」っていうおじさんへの重圧の開放の物語になったんだな…」

ぢゅん「そういえばマリってシンジにとっての白馬に乗った王子様っぽいよね。白じゃなくてピンクだけど」

リーダー「でも正直ずるくないか?『ソウルフルワールド』の時も思ったけどさ、隣人を愛し、なんでもない日常を営んでいくことそ尊いんだ、ってさあ、それを作ってる人はまるでなんでもない日常に満足してないじゃん」

櫻丼「急にどうしたリーダー」

リーダー「庵野監督が「まともな大人」だったらそもそもエヴァはこの世に存在してないじゃん。俺は嫌だ!まじめに仕事をして家庭をもって愛し愛されるなんて嫌だ!俺は一生孤独に苛まれても自由に海を漂う生活がしたい!実存のためだけに創作がしたい!社会の役に立ちたくない!!」

ミノ「とんでもないこと言わないでくれ」

相場「そうだよ、孤独がいいなんて言うなよリーダー、俺たちは一生友達じゃないか!」

リーダー「そ、相場くん…」

相場「…行こう!!」

ぢゅん「どこへ?」