櫻丼くんの絵の下手さがばれてしまう回
ぢゅん「あのさ、多分みんな言ってると思うんだけど、ヘプタポッド文字はなんか習字っぽかったよね。イカスミみたいの出して書いてたし」
相場「やっぱりあれ、イカスミだったよね…」
ミノ「習字ってもうちょっと精神性を重んじるイメージだけどね。ヘプタポッド文字はそれより機能的な感じと思ったな。研究チームも「はね」の間の長さ測ったりとか、随分と離散的な分析してたしさ。習字をあんな風には分析しないよね誰も」
櫻丼「いや、そこが西洋アプローチの限界ってことなのかも…。なんにせよ、英語の書き文字ってすごく配列的なツールで、並べかたと順序によって意味が決まるわけだよね。それに対してヘプタポッド文字が漢字的、っていう対比は確かにあると思う。文脈を付け足していく、というよりは一文字の中に文脈があるという感じでしょ」
ミノ「甲骨文字の靈(レイ)っていう漢字の読み解きに面白いのがあったんだけど、上にかぶっている雨だれは「天からの慈雨」、その下の3っつの口(サイ)は巫女が呪術をする時に使う祭器、その下の巫は、ふたりの巫女が向き合って祈っている絵、ここでは雨乞いを祈っている…っていうのを表してるんだって(*1)。靈って一文字の内に、ストーリーというか、空間全体が閉じ込められてるって感じで面白いよね。ヘプタポッド文字にも、天地左右に空間性があるのかな?」
櫻丼「むしろ、円環していることによってどっちが天地でも左右でも気にしないような言語になってるんじゃないかな」
ぢゅん「「Aさん」、「Bさん」、「愛し合う」、「結婚する」、という単語があったとして…ふつうの文法はこれを横に並べるから、愛し合う→結婚する、って因果関係がはっきりするけど、全部が混ぜあったように、もしくは円にして、時間の流れと順番がわからないように書けるなら、AさんとBさんは愛し合ってるから結婚するのか、結婚するから愛し合うのか、はっきりしなくなる。だからこの言語を使っている人たちの結婚観は僕たちとはちょっと違うのかもしれない。でも「いま」愛し合ってるっていう状況はどちらにしても変わらないんだよね」
櫻丼「そういう言語を使っていると、道徳観も考え方も違う風になるだろうね。しかし、映画の中にはサピア・ウォーフ説というのが出てくるけど、これは単に使う言語によって性格とか考え方が違うようになるよね、というレベルを超えて、使っている言語によって現実世界そのものが変わるのかもしれないよね、と言っている。言語の相対性とかいって」
ミノ「サピア・ウォーフ説的なアイデアって、結構これまでもいろんなSF作品に顔を出してるんだよね。有名どころだと、ジョージ・オーウェルの『1984』に出てくるニュースピーク。「言葉がないことについては思考することができない」ってわけで、ここでは悪い政府が、語彙によって国民の思考を制限することで、国民が党のイデオロギーに反発するような考えができないようにしてしまう」
ぢゅん「しかし、ほんとうにそんなことになるのかなあ?」
ミノ「言語学者ギョーカイでも賛否両論はあるみたいよ。なんか夢があると同時にネガティヴな話な気がするしね。だって、言語Aから言語Bに完璧に一対一で対応するような翻訳は、例えば英語→日本語でも無理そうだってことは実感としてあるわけだけど、その「言葉」が翻訳できない限りは言語Aの人と言語Bの人は絶対に共有できない世界があるってことだし…」
ぢゅん「雑にその考えを拡大すると、例えば映画は映画の文法でしか思考できないし、小説は小説の文法でしか思考できないから、そもそも小説を映画化するってことは不可能な行いなんだよね…。『メッセージ』はあえてそれをやっているわけだけど…。でも俺、確かに一対一の写像的に翻訳するのは無理でも、例えば、「目には見えないクラゲの気配が、5次元に引き伸ばされた部屋の壁一面に、乾いた硫黄の匂いとなって張り付いていました」みたいな文章の感触を、映像で伝えるにはどうしたらいいか、もしかしたらそれは映像にしたら、「エマ・トンプソンが無言で卵焼きの白身を食べている」になるのかもしれないし、とにかくなんらかの工夫の仕方は常にあるんじゃないかって思う」
櫻丼「わかるよ。『メッセージ』も原作からは改変している部分が多いけど、何かを変えたり足したり削ったりするって事こそが、異なるフォーマットの作品のエッセンスを映像化するための唯一の方法なんだよね。そういえば例の12分の1の話も映画オリジナルだったなあ」
ミノ「数字にこだわってたのは『ダビンチコード』的なミステリアスさの演出かな?ヘプタ=7、とか、やたら12が強調されるのもそうだけど 」
櫻丼「ちょっとその辺ハリウッドっぽいよね。で、7と12って、機能的な数じゃない。1週間は7日で1年は12ヶ月、とか」
ミノ「ドレミファソラシは7つ、半音を含めれば1オクターブは12音階、とか」
ぢゅん「ああ、なんで音階は…主に西洋では…12なのかってことに関して、今の12音平均律の元になった音律をピタゴラスが作ったって逸話があるんだけど…」
ミノ「聞いた事あるよ。ピタゴラスが鍛冶屋の前を通った時、ふたつのハンマー同士の長さの比が簡単なほど、叩いた音が調和して聴こえるのを発見したってやつね」
ぢゅん「最高に調和するのは比が1:2の時で、調和しすぎて同じ音みたいに聴こえるから、これがいわゆるオクターブってやつ、低いドと高いドみたいな。ギターとかで、弦の全体の真ん中あたりを押さえて弾くとちょうどオクターブ高くなるでしょ」
相場「弦の長さが1/2になると、オクターブが一個増えるのか…」
ぢゅん「つまり周波数が2倍になると、ってことだね。1:2の次に「いい感じ」に聴こえる比は3:2だ!ってピタゴラスは思ったんで、この比の周波数を積み上げていけば、全部が「いい感じ」になる音律が作れるんじゃないかって思ったわけ」
ミノ「ふむふむ、それを例えば低いドから初めて、12回繰り返すと(*2)高いドにたどり着いて、一周するわけだね」
ぢゅん「…ってなれば話は簡単だったんだけど、実際は13番目の周波数はオクターブより少し高い周波数にずれてしまうんだ。数学的に、あと何回この操作を繰り返したところで、ある音からの3/2倍をいくら積み上げても、ある音からの2倍の周波数にはならないことがわかっているから、オクターブでぴたっと閉じるはずの円が、ちょっとだけずれ続けて、永遠に繰り返す螺旋になってしまう」
ミノ「惑星の軌道が、綺麗な円だったらもっとわかりやすかったのに、実は楕円になっている、って話を思い出すな。自然には人間の直感に反しているところがどこかある、ってことだね。人間の直感からちょっとだけずれている」
相場「うちの死んだひいばっちゃんも、最後まで特殊相対性理論を認めなかったもんなあ…」
櫻丼「そうなんだ…。あ、原作では、まさに人間が直感的に分かりにくい自然科学の原理、っていうのが話のキーになってるよ。それで、この話が出てくるのと出てこないのが、原作と映画版の大きな違いになってると思ったんだ。それがフェルマーの原理っていうやつなんだけど」
相場「清々しいぐらい聞いたことないな」
櫻丼「幾何光学っていう分野の原理らしいよ。実は原作では、映画ではあんまり活躍しないジェレミーレナーが、「宇宙人たちは、もっと簡単な物理学は理解しないっぽいのに、人間にとってはより難易度が高いはずの「フェルマーの原理」にはなぜか馴染みがあるようだ」ということを発見する。で、それがヘプタポッドたちの「世界の見方」を掴む上での重要なヒントなんじゃないか?と気付きを得たことが、ヘプタポッド文字解明のブレイクスルーにつながる」
相場「それって、明太子はダメなのにカラスミは食べれちゃう、みたいな感じかな?」
ぢゅん「クラシックはダメなのにショーペンハウアーだけは聴いちゃう、みたいな感じでもある?」
櫻丼「いやもう全然違う話になってますねそれは。俺もこの辺についてちょっと調べてみたんで、説明できるか試してみたいんだけど、例えばいま、物体XがA点から放たれたとします」
相場「Aとか使われると萎えるんだよな。もっと具体的にしてよ。吉祥寺から放たれた物体Xとかにして」
櫻丼「その表現は無駄にストーリー性が生まれてしまうだろ。まあいいや、じゃあ吉祥寺と名付けた点から、いま物体Xが出発しました。この物体Xがどういう経路を描いて進むのか知る方法として、
方法A:吉祥寺を出発した時点での物体Xの方向とか速度とかの状態から、次の時刻の物体Xの位置が分かる。で、今度はその瞬間の状態から、そのまた次の時刻の物体Xの位置が分かる…というのを順を追って辿って行く。
方法B:吉祥寺から恵比寿まで、最短時間で行くルートを求める。
と、いう2つの方法があるとして、どっちの方法のほうが簡単そうに思える?」
ぢゅん「簡単っていうと…、そりゃBの方が、障害物とかない限り、最短時間は2点を結ぶ直線になるってすぐ分かる…けど、なんかもはや軌道を求める力学の問題から全然違う図形の問題になってる気が…」
ミノ「恵比寿は一体どこから出てきたのよ」
櫻丼「物体Xの辿るルートを計算すると、恵比寿の点に着くことになるんだよ」
ミノ「え…いやそれって、物体Xの軌道を知るためにする計算で物体Xのルートを既に知っている必要があるってことにならない??それに百歩譲って目的地が恵比寿って分かっていたとして、そこに”最短時間で行くルートが物体Xの経路になる”、っていうのも、何故なのか説明がない気がするけど…」
櫻丼「なんでなのかというと、それは物体Xの経路が結果的にそうなってるからだよ」
ミノ「宇宙人と話してる気分になってきた」
櫻丼「そこがこの話のキモなんだけど、最小時間で進むような経路をとる物体Xっていうのは実は光のことで、「フェルマーの原理」とは、「光は進むのにかかる時間が最短になる経路を通る」という原理なんだ。これは光が真空中を直進する現象も説明する」
相場「直線が一番早く進めるからだ!」
ミノ「なんか狐につままれたような感じがするんだよなあ…それに最短”距離”と言えばいい話なのになぜ最短”時間”って言ってるの?」
櫻丼「なんにもない場所を通るなら、直線がそのまま最短時間で行くルートになるけど、曲がったほうが早く行ける場合っていうのがあるんだ。例えば、光は水に入った時にある角度で屈折する、っていうのは知ってるよね?」
ぢゅん「屈折するから、水の中のコインとかが実際より浮いたように見えるんだよね」
櫻丼「そう。で、なぜ屈折するのか、っていうのは、ホイヘンスの原理というのを使った説明が視覚的に分かりやすい。ここでは、光を波として説明する。ふつうに水の波が起こる時のことを思い浮かべてほしいんだけど、水面に石を落としたらこんな風に丸く波が広がっていくよね」
櫻丼「この漫画的表現の波の線っていうのは、たいていの場合、波が山になっている(*3)点をつなぎ合わせた線だよね。これを「波面」といって、ホイヘンスの原理では、最初にできた波面上のすべての点がまた波の元になって、二次的な波をつくる。これを繰り返すことによって波が伝播していく…と考える」
相場「なにこれキモい!すじこ?」
ぢゅん「まあ、ふつうに、波の線が広がっていくってことだよね、感覚的にわかるよ、絵はひどいけどね」
ミノ「うん、この波は一方向に進んでるんだね。ところで、ちゃんとIllustratorを使って作図してほしい」
櫻丼「よ、要求のレベルが高いな…。この波のイメージから屈折を考えよう。ここで重要なのは、水中では、空気中より光が進める速度が遅くなる、ってことだ。ここでは話を簡単にするために、水中での光の速さは空気中の半分、ってことにしよう。さて、斜めの方向から光の波がやってくる時、波面の左端が右端より先に水面にぶつかることになるよね?」
ミノ「えっと、水色のとこが水中で、黒い線が波面か。描写がミニマルすぎて一瞬なにかの前衛芸術かと…」
櫻丼「ホイヘンスの原理によれば、波面のすべての点から次の波の元が生まれるから、この左端のとこからも波が広がる。波面の右端が距離λをかけて水面にたどり着く頃には、既に左端からの波は水中を進み始めているけど、水中では波の進める速さが1/2なんだから、この時広がってる円の半径はλ/2になる。というわけで、また山同士を繋いで次の波面を書いた時、内側に角度がちょっと曲がることになる」
ぢゅん「単に、右側と左側が同じ速度で進んでないから進行方向がずれてくるってだけの話か。二人三脚してて、ふたりが同じ速さで進んだら前にまっすぐ進むけど、一方が歩幅を縮めたら進む向きが変わるもんね」
櫻丼「うん、で、今のは光を波として見た時の説明。この図の波面に直角に交わる線が光の進んでる方向になるのはいいよね?フェルマーの原理は、「なぜ光は屈折するのか?」っていう同じことを、線の方、つまり光線の経路で説明する」
ミノ「屈折したほうが光線がゴールに辿り着く時間が短くなるから、なんでしょ。でも本当にそうなってる?」
櫻丼「わかりやすいようにもっと角度をつけた図にしてみるよ。真ん中の太線が実際に光が通るルート。直線で行けば距離は短くなるけど、速度の遅い水中を長く通ることになるから、移動にかかる総時間は長くなる。反対に、できるだけ空気中を通っていこうとすると、今度は総距離が長くなることで結局時間がかかる。というわけで、やっぱり実際に光がとっている経路がベストのルートってことになる。あ、ちなみにこの図はちゃんと角度とか計って描いてないから厳密じゃないけど、屈折の角度はスネルの法則ってやつによって一意に決まるよ」
相場「どんだけせっかちだよ光。なんか光が最初からゴールを知った上で、どのルートが一番時間がかからないか計算してから動き始めてるみたいで面白いよね」
櫻丼「まあ実際には、光路は最小時間になる道をとることもあれば、最大時間になる道をとることもある。「停留値をとる経路が実現される」と言ったほうが厳密なんだけどね」
ぢゅん「な…なぜ嘘をついた?」
櫻丼「いや、俺が悪いんじゃないよ!さっきの屈折の場合もそうだけど、大体は最小時間をとることになってるし、それにそのほうがキャッチーだから「最小時間の原理」って説明されることのほうが多いんだよ!」
相場「停留値って?」
櫻丼「停留値は微分した時ゼロになる点のことを言ってる。普通の関数は微分すると、最大値と最小値のところがゼロになる(*4)。微分っていうのはグラフの変化の勢いをプロットするわけだから、ちょっと左右に動いた時に値があんまり変わらなくなってる点がゼロになるわけだよね。光路を求める問題だと、経路全体の時間積分が関数になるから話はもっと複雑になるんだけど、基本的には似たような考えをして、関数の…つまり経路の形をちょっとずつ変えてみた時に、総時間がほとんど変わらないような関数の形、が停留点をとる経路ってことになる。ちなみにこの関数の形をちょっとだけ変えて…みたいなやり方を変分法って言うらしい」
ミノ「吉祥寺から恵比寿に行く時に、一本乗り遅れても巻き返しの効きそうな乗り換えルートをとると、大抵の場合結果的に一番早いルートになってる、みたいなこと??」
櫻丼「吉祥寺と恵比寿を例に出されると余計分かりにくくなるのは俺だけなのか?」
相場「結局さ、光の屈折って、波で説明しても線で説明しても、それは説明の仕方が違うってだけで、同じ結論になってるんだよね?」
ミノ「現実世界に現象として現れているのは事実だもんね」
櫻丼「うん、結局古典的な力学で導けることが同じように変分法を使っても導ける。手順というか見方が違うだけでね。古典的な力学は、過去の状態から逐次的に現象を説明するから、過去から未来へと一方的に時間が流れる世界で生きている人類にはわかりやすい。一方の変分原理は時間を一個のブロックでまとめて見るような、超越的なところがあるから、人間からすると馴染みにくい。しかしヘプタポッドたちは元々そういう世界の見方をしていたというわけ。でもさ、どっちから世界を見ても、だからといって「世界が変わってしまう」わけじゃないよね。逐次的な現象としてみようが、フェルマーの原理でみようが、光の屈折率が変わるわけじゃないし、天と地がひっくり返るわけじゃない」
ぢゅん「『メッセージ』の主人公はヘプタポッド言語のおかげで時間の見方を変えたけど、確かにそれで、世界そのものが変わるわけじゃない。そういう話じゃなかったね、未来を操作できるとか、そういうSFとは違う感じだった。どちらかといえば彼女はただ、未来を思い出せるようになった、みたいな」
ミノ「冒頭の回想シーンが回想じゃなかった、ってところが映画のトリックというかある意味どんでん返し的になってるけど、あれは本当の意味で回想シーンだったんだね、映画的な「ずる」をしているんじゃなくてさ。ただ彼女は「後ろ向きに思い出している」だけなんだ」
櫻丼「思えば記憶って、普通の人間でもあんまりぱっきりと時系列に思い出すってことはないよね。5年前のことも昨日のことも、あべこべだったり同時だったり、散文的に思い出す感じかも」
ミノ「だとしたら愛は記憶に似ているのかも。愛は記憶のように散文的に人生に現れる」
相場「ミノってさ、たまに綺麗なこと言おうとするよね」
ミノ「たまに本性が隠しきれなくなるんだなあ…」
ぢゅん「ところで、さっきの光学の話を聞いたら、あの「ばかうけ」って言われてるヘプタポッドの船、俺には凸レンズに似て見えるなと思った。もちろん、なんなのか分からない、意味を寄せ付けない怖さがアレの絵的なインパクトなんだとは思うんだけど」
リーダー「■」
ぢゅん「えっ」
ミノ「なにいまの」
相場「今のは、「ウーロンハイ追加」、というのをまとめて発音してたんだよ」
櫻丼「そこ通じてんのかい、というかまたこのパターンか…」
リーダー「■」
ぢゅん「今のは?」
相場「今のは普通の日本語として話すと2時間40分はかかる内容になるけど」
ミノ「じゃあいいです」
相場「でも要約すると、「俺はみんなをあいしているぜ!」と言うことです」
櫻丼・ぢゅん・ミノ「「「リ、リーダー!!!!!」」」
相場「と、言うことでいい?リーダー」
リーダー「どう思ってくれてもいいよ。どうせ俺の気持ちは翻訳不可能だもん」
<参考文献>
※1)参考:常用字解 –白川静
※2)そのまま12回繰り返すと周波数がオクターブ内に収まらなくなるので、途中で除算する操作が入ります
※3)本当は山に限らず、波の位相が同じ点
※4)この場合二階微分すれば変曲点も停留値になります。極大・極小・変曲点・局所的極値あわせて停留値というそうです
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