この人を見よ
相場「今日はみんなに大変なことを告白しなきゃいけない」
櫻丼「なんだなんだ」
相場「実は俺、急に頭が痛くなると…大抵その後に雨が降るってことに気がついたんだ」
ミノ「はい」
相場「つまり俺は雨を予知することができる…”能力者”だったんだ…」
ミノ「お、おう」
相場「ごめん…驚かせたよね…」
櫻丼「ていうか俺もなるし」
ぢゅん「低気圧のやつな。普通に頭痛持ちあるあるでしょ」
相場「そうなの?!なんだーーーーーーーーこれが政府にばれたらNASAに連れていかれちゃうかと思ったよ。普通のことだったんだね」
リーダー「待て相場くん。君は自分の力を信じないのか?凡庸な人間たちは「力」を有する君を妬んで、言葉によってそれを無効化しようとするかもしれないが、君はそんな口車に乗るというのか?」
櫻丼「いや畜群か」
相場「それってそんな「欧米か」みたいにカジュアルに扱っていいフレーズなの?大丈夫?」
櫻丼「「畜群」って、群れでしか生きられない—それは人生の価値観を他人に依存しているから—そういう凡庸なひとたち、っていうのを指してニーチェが作った観念なんだけど」
ぢゅん「めちゃ蔑みベースじゃん」
櫻丼「そういえばニーチェは「畜群」の対極の観念として「超人」を置いてるんだけど、群れから超人へ…、これってそのまま『スプリット』のマカヴォイだね」
ぢゅん「あれは望んで超人を目指したわけじゃないけどね。あくまで幼少期のトラウマっていう歪みがあのビーストを生んだんだから」
ミノ「でも本人が望むと望まざるに関わらず、時に「傷」っていうのは人類を進化させる必然的なエラーなのだ、っていうのがビースト神話で、一方、それは単なる傷、ゆえに治療も可能だという態度を取るのが、『ミスターガラス』での真の”ヴィラン”としての”擬似現代科学”なんじゃない」
相場「ビースト神話やべー感じ」
櫻丼「まあやばいといえばやばいんだけど、それでいて『スプリット』っていうビースト神話がそのやばみによって自家中毒を起こさずに済んだのは、密室劇にしたところがうまかったと思うんだよね。あそこでは動物園の地下という舞台装置がある種の異世界として機能してた。ファンタジーの例によって、「鏡の国」では「現実社会」とは全てがあべこべになるので、銃は無力になり、群れは超人となり、傷は祝福され、道徳は弱者を守らず、ただ動物的に強い者が勝者となる。ケイシーはそんなニーチェ的ワンダーランドを通り抜けて、現実で「目を覚ます」…。だからビーストと場がセットになっていたことによって、少女が過酷な現実と対峙するための歪んだファンタジーだったのだ、という見方も許されていたように思う」
相場 「でも今回、外に出ちゃったじゃん」
櫻丼「そう、それな!そこが『ミスター・グラス』の一番やばいところなんだよ!外に出ちゃうの。もうこれウェルカム・トゥ・ジュラシックワールドなんだよ」
ぢゅん「いやでもミスターガラスという存在が世に放たれても全然やばくなくない?「あの人おもしろいですね、アンダー・ザ・シルバーレイクの主人公みたいで」とか言われて終わるだけじゃない??」
ミノ「確かにあの終わり方はちょっと楽観的にも思えたな。だってさ、世界に知らしめるっていっても、「へえーー、世の中にはこういう、スーパーパワーとか持つ人がいるんだねーー、そっかーイイネ!」…から次の猫動画をポチるまでの時間をどう稼ぐかって戦いがあってしかるべきじゃない?この無限消費社会においてyoutubeに打って出るっていうのはさ」
櫻丼「アベンジャーズが「ヒーローも見慣れたら国際的お荷物に過ぎないですよねえ」みたいなフェーズを描いちゃってるから、余計にナイーヴな感じに見えるってのはあるよな。あのまっすぐさがシャマラン映画の善性でもあるとおもうけどね」
ミノ「『アンブレイカブル』は時代に早すぎたけど、『ミスター・ガラス』は時代に遅すぎた、ってことはない?」
ぢゅん「いや、完璧に裏アベンジャーズとして作用するこのタイミングは単純に面白いでしょ」
櫻丼「とにかく俺が「やばい」って言ったのは、「こういう寓話なんですよ」、っていうところで閉じないで、もう直接現実世界にどうだ!お前ら!これを信じるか!ってまっすぐに突きつけにいってる、そのシャマランのメンタルつよつよっぷりのことなんですよ」
ぢゅん「なんにせよこの映画がシャマラニストの勝利であることは間違いなかったよ。これ以上のカタルシスはないでしょ。「19年か、長くかかったな…」っていうミスターガラスのセリフは、シャマランの世間的な浮き沈みを一緒に体験してきたファンには感慨もひとしおだったよ。シャマランは最初からずっとずっとこのことをやり続けていたんだよ。誰に何を言われても決して曲げなかった。スタジオに無視され世間からバッシングされても曲げなかったんだ。一度も曲げなかった、これがどんなにすごいことかわかる?」
ミノ「いやすごいよ。俺もシャマラニアンってわけじゃないけどラストはなんか感動したもん。でも、あのラストってたしかに感動的なムードに満ちてて、音楽もヒロイックな感じで高らかに物語の力を称揚しているように見える一方で、そこを信じすぎて背景世界信仰に陥り、日常を軽視した先にあるのが無差別テロ行為だったりするぜ、っていうのもストーリーに組み込まれてるから、なんか結構複雑だよな」
櫻丼「ひとつ気になったのは、ケイシーっていうキャラは、前作の時に「日常」と「物語」を唯一行き来する存在だという話をぢゅんくんがしていただろ。だからこそ、『スプリット』のラストの彼女の眼差しの余韻っていうのは、メタ的にスクリーンの向こうの現実を見つめていたような気がしていた。ケイシーは物語的には救われ、「叔父は逮捕された」けれど、一方で彼女が受けた今までの心の傷や監禁されたショックやクラスメイトが実際に惨殺されたことっていうのは日常に影を伸ばすように思う。でも『ミスター・ガラス』でのケイシーは単にシャマラン神話内のいちキャラクターになってるって感じがして…。もう少しゆらぎっていうか、アンビバレンスを抱える存在として描かれても良かったんじゃないかって、欲をいえば」
ミノ「今回、物語の外側の”日常”っていうことについて一番注意を払っていたのは、サラ・ポールソン率いる「組織」だと思ったよ。ていうか、あの組織ってこの映画ではヴィランだけど、考えようによっては”日常”の守護者なわけじゃない?「神は死んだ」後の世界のニヒリズムに、カルトな終末思想とかに陥らず淡々と対処する方法として、ただ”日常”を守り抜く、っていうことをやっているんでしょ」
相場「でもそれで真実を隠すようなやり方はダメなんじゃないの、やっぱり」
ミノ「そう言うけどさ、マトリックスの仮想世界みたいな無痛文明って俺ら自身が望んでることなんじゃない。焼肉は食べたいけど牛が殺されるシーンは見たくないし、自分の排便ですら後ろ手で流し去りたいみたいな」
櫻丼「そこでだよ、痛みを伴ってでも赤いカプセルを飲むべきなんだ、って言えるのがシャマランのつよつよさなんだよ!
ぢゅん「しかも、万人に心地がいいように作られた仮想世界の中の方がむしろ生きづらい人もいる、ってところなんだよ。だから、『ミスター・ガラス』のあのラストっていうのは、ただそういう者たちを無視するな、って言っているんでしょ。
「この人を見よ」って、純粋に言ってるんだよ。この人たちが存在するっていうことを、ただ見なさい、って」
リーダー「なんだ、みんなこの映画の肝心なテーマに気が付いていないようだな」
相場「え?」
リーダー「監督はタイトルに謎を隠していたんだ」
ぢゅん「なんだよ、謎って」
リーダー「よくあるトリックだよ、グラスを反対から読んでみるんだ」
相場「おお、グラスだけに、鏡に映すってことだね!ええと、スラグ、になるね」
リーダー「そう、つまりこれは、スラッガー、本当はこの映画は『ミスタースラッガー』ということなんだ」
櫻丼「今ページが10ぐらい飛びましたか?」
リーダー「シャマラン映画でスラッガーといえば『サイン』で元マイナーリーグ選手を演じていたホアキンフェニックス。予言しよう、次のシャマラン・ユニバースでは彼が主役になると…」
相場「そっかー楽しみだね!」
櫻丼「素直!!」